男専門に体を売る若き美少年……江戸時代の男娼「陰間」は出身地により「格」が違った【前編】 (3/6ページ)
男性客(左)の背後で女中(右)と接吻をする陰間(西川祐信)wiki
男娼にも階級があった
「女性との性的関係をは禁じられていた僧侶と、僧侶の身の回りのお世話をする美しい稚児」「戦国武将と、心身ともに固く結ばれた若き部下や小姓」など、僧侶・貴族・武家の間で流行っていた男色や衆道は、江戸時代に入るとさま変わり。
町民階級でもよりカジュアルに嗜まれるようになりました。
そこでポピュラーな存在になってきたのが、男性専門に体を売る男娼(だんしょう)です。
日本では古くから歌や踊りを行う芸人が体を売ったり、親方が少年を抱えて客に売り収益を上げるという商売がありました。
江戸時代の寛永6年(1629)には、初期歌舞伎の形態のひとつで前髪立ちの美少年を中心とした歌舞伎「若衆歌舞伎」が人気となったのです。
ところが、人気役者を巡って武士同士の喧嘩や刃傷沙汰が絶えなかったことから、承応元年(1652年)幕府により禁止に。
そして、若衆のシンボルである前髪を剃り落とし、野郎頭になることを条件に成人した男性中心の「野郎歌舞伎」が始まります。
男性だけが演じるために女性を演じる「女形」も生まれ、今現在の歌舞伎の原型となりました。