2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】 (5/6ページ)
親友の蘭学医・杉田玄白が何度となく妻をめとることを進言しても、「四海皆女房なりと悟れば寝覚めも淋しからず」(※)などとうそぶいて、煙に巻いてやり過ごしたそうです。
※四海皆…『論語』顏淵篇にでている故事成語、「四海の内、皆兄弟なり」(真心と礼儀を尽くして交われば、世の中の人みんな兄弟のように仲良くなれる)をアレンジしたものと思われる
男色街によく出入りしていた平賀源内平賀源内が認めていた狂歌師で江戸中に狂歌ブームを巻気起こした大田南畝(おおたなんぼ1749-1823)の随筆『仮名世説』には、以下のような記述が残されています。
「彼は芳町のみでよく遊び、北里(吉原)には行かなかった」
吉原は遊女たちが集う遊郭であるのに対し、芳町は男色街として知られていました。
芝神明門前(現在の港区の芝大神宮)・湯島天神門前・芳町(現在の中央区日本橋人形町のあたり)は、江戸の三大男色地帯で、男性が男性相手に体を売る「陰間」(若い男娼)を置く隠間茶屋が集まっていたそうです。