狂人?人格破綻?度重なる狂気的乱行の末に自刃した徳川2代将軍・秀忠の息子「徳川忠長」の生涯【前編】 (4/4ページ)

Japaaan

忠長の兄、徳川3代将軍徳川家光(Wikipediaより)

母の死と家光との確執

1626年、母である江が亡くなると、立場をわきまえない無自覚な行動が目立つようになったといわれている。

同年には父・秀忠と兄・家光の上洛に伴って、現在の静岡県を流れる大井川に幕府に無許可で橋を渡す。独断での施工に加え、大井川は江戸と駿府の防衛の役目を果たす要所であり、架橋はおろか渡し船も禁止されていたため家光の不興をかった。

次回【後編】に続きます。

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