狂人?人格破綻?度重なる狂気的乱行の末に自刃した徳川2代将軍・秀忠の息子「徳川忠長」の生涯【前編】 (1/4ページ)

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狂人?人格破綻?度重なる狂気的乱行の末に自刃した徳川2代将軍・秀忠の息子「徳川忠長」の生涯【前編】

神君家康の孫、徳川2代将軍秀忠の息子として一時は将軍後継の最有力とまで目された「徳川忠長」。生まれながらに一流の血筋と絶大な権力を合わせ持ちながら、28年という短い生涯は自刃という形で幕を閉じた。忠長には生前多くの逸話が残っている。

徳川忠長像(Wikipediaより)

今回は「駿河大納言・徳川忠長」の生涯をご紹介する。

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出生と将軍後継争い

忠長は1606年、江戸城西の丸に生まれる。幼名は「国千代」。母親は2代将軍秀忠の正室「江(ごう)」。秀忠と江の間には2年前に嫡男である「家光」が生まれていたが、家光は生来病弱であり吃音が認められたため、秀忠と江は弟の忠長を寵愛していたといわれている。

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