「哀しくとも」生きのびた先に待っていたのは…「光る君へ」史実を基に12月8日放送回を振り返り (4/7ページ)
隆家や武者たちの活躍は確かに素晴らしいものではありましたが、だからと言って彼らを手放しに賞賛できない朝廷の都合もあったのです。
間もなく隆家が大宰権帥を辞して帰京したのは、刀伊の入寇における手腕が評価されたのと同時に、隆家が九州武士団を束ねるのを阻止する当局の意向もありました。
カリスマを持つリーダーが武士たちを率いて、朝廷と距離をおいた権威を確立する、後世で言う幕府のようなものを作られてはたまりません。
隆家にそんな野望があったかはともかく、武士たちの世が来るまでは、もう少し時を要するのでした。
武者たちの活躍
さて、刀伊の入寇では多くの武者たちが軍功を立てました。
ここでは大河ドラマには登場しなかった、描かれなかった活躍を一部紹介したいと思います。
……太宰注進成勲功者、散位平朝臣為賢、前大監藤原助高、傔仗大蔵光弘、藤原友近、友近随兵紀重方、以上五人、警固所、合戦之場、相戦者雖数多、賊徒正中件為賢等矢……
※『小右記』寛仁3年(1019年)6月29日条
【意訳】大宰府から勲功の注進があった者は、以下の5名。
平為賢(散位) 藤原助高(前大宰大監) 大蔵光弘(傔仗。大蔵種材の子) 藤原友近(無位無官) 紀重方(友近の随兵)博多の警固所では多くの武者たちが戦ったが、賊徒らを仕留めた矢の多くは彼らが射たものであった。