鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【後編】 (3/4ページ)
そのあまりの潔癖ぶりから、「白河(松平定信)の清きに魚のすみかねてもとの濁りの田沼(田沼意次)こひしき」と揶揄されたことすらあるほどです。
その定信からは、銭相場で金儲けを行っている平蔵はとても卑しい人物に見えたのでしょう。こうした点が不興を招き、平蔵は奉行まで出世できなかったのです。
そのままにさせておいた実際、松平定信の自伝には、平蔵についてその功績を認める一方でこう書き記されています。
「長谷川何がしという者は、功利をむさぼるために山師(相場師)などというよくないこともあるようで、人々は悪くいう。ただし、このような人でなければ人足寄場はできないだろうと試しにやらせてみた」
定信は、このように清濁併せ飲むスタイルで世間に通じていた平蔵に対して長谷川何がしと言葉を濁すほど嫌悪感を露わにしています。名前すら呼びたくなかったのです。
こうしたことが平蔵の出世に影響したのでしょう。そして、同時に火付盗賊改の実績が大きかったことから、そのままにさせておいたのだと思われます。これが、平蔵の在任期間の異例の長さにつながったのです。