鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【後編】 (1/4ページ)

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鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【後編】

出世できなかった「今大岡」

【前編】では、長谷川平蔵が時の老中・田沼意次に引き立てられて出世し、その後は松平定信から解任と再任をされていたことを解説しました。

鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【前編】

【後編】では、その実態について見ていきましょう。

こうした史実に基づき、池波正太郎の『鬼平犯科帳』では、平蔵の働きぶりが他に代えがたいため、いったんは休養を採る意味で解任されたものの、すぐに再任されたというストーリーになっています。

実際、平蔵の働きぶりは江戸の庶民からも称賛されていました。当時の社会風俗が記されている『わすれのこり』には、平蔵の活躍について「賞罰正しく、慈悲心深い。幾知に富んだ裁きが多く、人々は今大岡(現代の大岡越前)と呼んだ」とあります。

しかしここで疑問が残ります。それほどの働きぶりで、彼はなぜ奉行職に就けなかったのでしょうか。

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