鬼平・長谷川平蔵が奉行になれなかった理由。時の老中との微妙な関係が平蔵の運命を分けた【後編】 (4/4ページ)
寛政7年(1795年)、平蔵は火盗改の激務が祟ってか、在任中に体調を崩して職を辞した3日後に亡くなっています。その死は江戸の多くの人々から惜しまれました。
こうして見ていくと、長谷川平蔵は、教科書にも出てくる田沼意次・松平定信の施政方針と運命を共にするような人生だったことが分かりますね。
参考資料:縄田一男・菅野俊輔監修『鬼平と梅安が見た江戸の闇社会』2023年、宝島社新書
画像:photoAC,Wikipedia
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