非業の死を遂げた吉原遊女の霊を慰める「玉菊燈籠」とは?その始まりを紹介!【大河べらぼう】 (3/4ページ)

Japaaan

死後も慕われた玉菊

そんな享保11年(1726年)の7月になると、吉原遊廓の茶屋では誰ともなく燈籠を掲げて玉菊の霊を慰めます。

十返舎一九『青楼絵抄年中行事 上之巻』より、燈籠之図。

生前からよほど慕われていたのでしょう。これが吉原三景容(三つの名物)の一つ・玉菊燈籠のはじまりでした。

……扨其年七月も近く玉菊の新盆になり、恩を受しもの、みな恩送りに燈籠または切子提灯を出し、玉菊追善の賑々敷事貴賤群集せし頃は、享保年中なり、是より吉原燈籠初りしなり……

※『江戸節元根記』より

また玉菊の三回忌となる享保13年(1728年)のお盆には、男芸者の十寸見蘭洲(ますみ らんしゅう)が河東節の傾城水調子(けいせいみずぢょうし)を演奏。すると玉菊の霊が現れたと言われます。

燈籠に なき玉きくの くる夜かな

※歌川豊国「古今名婦鑑 中万字の玉菊」

彼女も生前に三味線をよくしたと言いますから、きっと喜んでくれたのでしょうね。

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