伊達政宗はなんと江戸幕府転覆を目論んでいた!?「慶長遣欧使節」に秘められた野心とは【後編】 (3/3ページ)
ソテロは、1612(慶長17)年からの禁教令によって幕府のキリスト教に対する弾圧が厳しくなる中、政宗という保護者によって布教を許されていました。
そこで、ソテロには奥州を足がかりにして、自分がフランシスコ会の日本の司教になろうという野望があったとされているのです。
従って、ソテロの書簡や発言に示された政宗の野望は、国王や法王の歓心を得るためのものであり信憑性が低いという反論もあります。
政宗の真意とその後しかし近年、日本大学教授の大泉光一氏は自著の『支倉常長』(中公新書)の中で、イエズス会宣教師ジェロニモ・デ・アンジェリスの書簡を紹介しています。
そのうちの1つ、1620年11月30日付け書簡によると、政宗は常長が帰着したと聞くと、将軍(この時には秀忠が将軍になっていた)への恐れから領内のキリシタンを迫害することを決めました。
将軍が政宗のエスパニア(スペイン)国王への使節派遣を知っており、政宗が天下に対して謀反を起こす気であると考えていたため、政宗はそうではないことを示そうとして迫害を始めたというのです。
結局、政宗が領内でキリスト教を保護してきたのは、倒幕のためにスペインとの軍事同盟を締結し、3万人のキリシタンの兵力化を実現するための偽装だったと考えられます。
以上が、政宗が支倉常長をスペインに派遣した理由に関する現代の説です。この説が本当かどうかは定かではありませんが、政宗の野心や当時の政治状況を考えると、非常に興味深いものがあります。
参考資料:日本歴史楽会『あなたの歴史知識はもう古い!変わる日本史』宝島社(2014/8/20)
画像:photoAC,Wikipedia
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