「大化の改新」は後世の創作!?「乙巳の変」に秘められた謀略をめぐる最新学説を紹介【後編】 (2/4ページ)
大きな失政があったわけでもないのに、この時期に譲位する理由はなかったのです。
しかし、譲位が既定路線だったとしたら話は別です。つまり、皇極天皇が入鹿暗殺計画を事前に知っており、蘇我氏滅亡後に軽皇子に譲位することが最初から決まっていたということです。
即位できなかった?中大兄皇子が即位しなかった理由についても、孝徳天皇を傀儡に立てて皇太子として実権を握るためだったという従来の定説を疑う専門家や研究者は少なくありません。
文教大学教授の中村修也氏は「『皇太子』という存在が、大王(天皇)権力を超えて実権を握った例はない」と述べています。
確かに、中大兄皇子が中央集権国家を築こうとしていたなら、孝徳天皇を傀儡に立てるような回りくどい方法よりもストレートに自分が即位して全権を握った方が改革はしやすかったでしょう。
そこで、中大兄皇子は即位しなかったのではなく「できなかった」のではないかという説があります。
当時、中大兄皇子は20代の若輩であり、蘇我氏滅亡という大事件の後に諸豪族をまとめ、国家を建て直す大事業を行うのは困難でした。
つまりことの真相は、最初から入鹿暗殺の首謀者である軽皇子への譲位が決まっており、中大兄皇子への譲位の打診はそもそもなかったのではないか、ということです。