「大化の改新」は後世の創作!?「乙巳の変」に秘められた謀略をめぐる最新学説を紹介【後編】 (1/4ページ)

Japaaan

「大化の改新」は後世の創作!?「乙巳の変」に秘められた謀略をめぐる最新学説を紹介【後編】

改革への疑問の始まり

【前編】では大化の改新の概要と、その前後の中大兄皇子の行動について説明しました。

※【前編】の記事↓

「大化の改新」は後世の創作!?「乙巳の変」に秘められた謀略をめぐる最新学説を紹介【前編】

【後編】ではこの改革への疑問と最新の説について見ていきましょう。

近年、「大化の改新」の内容を疑う専門家や研究者は少なくありません。また、中大兄皇子が即位しなかった理由にも疑問が付されています。

まず疑問の一つとして、皇極天皇が乙巳の変の2日後(入鹿の父・蝦夷が自殺し、蘇我氏宗家が滅んだ翌日)、慌ただしい状況の中で皇位を軽皇子に譲ったことが挙げられます。なぜ天皇はそんなに譲位を急いだのでしょうか。その理由について『日本書紀』に記載はありません。

皇極天皇(斉明天皇)・Wikipediaより

皇極天皇は入鹿暗殺に加担していなかったとされており、退位することで責任を取る必要はありませんでした。

「「大化の改新」は後世の創作!?「乙巳の変」に秘められた謀略をめぐる最新学説を紹介【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、軽皇子孝徳天皇乙巳の変中臣鎌足大化の改新カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る