藤原京から平城京への遷都の理由…それは「あの人物」の権力誇示のためだった!?【後編】 (1/3ページ)
大きな都が必要だったから…ではない
【前編】では、710(和銅3)年に行われた藤原京から平城京への遷都について、その経緯と疑問点を説明しました。
※【前編】の記事↓
藤原京から平城京への遷都の理由…それは「あの人物」の権力誇示のためだった!?【前編】【後編】では、そもそも遷都が行われた理由について見ていきましょう。
遷都の理由については、中国を手本に国家を建設しようとした朝廷が、中国の都にならって平城京を造営したとするのが定説です。
実際、藤原京がまさにそうした目的で造営した都でした。
あるいは大宝律令の施行にともない、国家の機構が拡大したため、より大きな都を必要としたという説もあります。
しかし1990年代の発掘調査の結果、藤原京はけっして従来考えられていたような小さい都ではなかったことが分かっています。
従来は大和三山に囲まれた狭い区域と考えられていましたが、実際は三山の外側まで区域とする平城京や平安京を上回る古代最大、日本最初の都だったのです。
