伝説の英雄がたどった晩年…日本海軍の名参謀・秋山真之はなぜ新興宗教にハマった?【坂の上の雲】 (3/5ページ)
大正5年(1916年)12月14日には大本教の教主である出口王仁三郎(でぐち おにさぶろう)より招かれて大本教主顧問に就任します。
当時の秋山真之は日露戦争の英雄として、海軍の内外で尊敬を集めていましたから、その影響力は絶大なものでした。
その秋山真之から大本教に誘われたら、それはもう天にも昇る心地で承諾したことでしょう。
かくして海軍の逸材らが次々と大本教へ入信していく様子に、海軍当局が戸惑ったであろうことは、想像に難くありません。
まさに大本教こそが真の教えとばかりに熱中した秋山真之ですが、両者の蜜月はそう永く続きませんでした。
季子夫人が狂乱状態に……。秋山真之と大本教が袂を別ちてしまったキッカケは大きく二つあったと言います。
一つは、秋山真之の夫人・秋山季子(すえこ)の病気。秋山真之は彼女が患った際、医師の治療を退けて大本教の祈祷を選びました。
これはかつて自分の病気が治ったから、という理由ですが、季子夫人には効かなかったようです。
適切な治療を施さなかったせいか、彼女の病状はますます悪化し、果ては狂乱状態にまで陥ってしまいました。
愛する妻をちゃんと治してくれないなんて、アイツら許せん……気持ちは解らないでもありませんが、やっぱりちゃんと医療を受けさせるべきだったのではないでしょうか。
※ちなみに秋山真之の病気が治ったのは、自然治癒力で事足りる軽症だったか、あるいはプラシーボ効果(気の持ちよう)だった可能性があります。