幻と消えた平清盛の夢…わずか半年で消滅した「福原京」への遷都の経緯とその失敗の理由【後編】 (2/3ページ)

そして京都の隣の近江でも反平氏の勢いが強まります。こうなると都を戻して対処せざるを得ず、おそらくここまで急速に事態が悪化するとは清盛も予測できていなかったのでしょう。
福原京の消滅福原京への天皇の滞在はわずか半年に過ぎませんでした。また統治機関も未整備のままだったので、果たしてこの「京」は正式な都だったと言えるのか、それとも離宮にすぎなかったのか、研究者の間では議論が分かれています。
とはいえ、長く宮中の内侍所を離れることがなかった神鏡を含む三種の神器が福原に移されたことは大きな出来事で、こうした点からも福原京への遷都について清盛の本気ぶりが窺い知れます。

平安京への還都後は、平氏の軍勢が一時的に盛り返しました。
しかその翌年、清盛が病死。