【大河べらぼう】ロシアに強硬姿勢、反幕勢力と交流!蝦夷地に君臨した松前藩主・松前道広(えなりかずき)の豪快すぎる生涯 (2/4ページ)

Japaaan

明和2年(1765年)10月11日に父が世を去ったことで家督を継承します。

同年10月15日には江戸の第10代将軍・徳川家治にお目見え。12月15日に従五位下・志摩守となりました。

藩を傾ける豪遊ぶり

遊女を身請け(イメージ)

松前藩主の座を継いだ松前道広は、持ち前の豪放さから、一橋治済(ひとつばし はるさだ)・伊達氏・島津氏といった反幕勢力でも構わず交流しました。

また過激思想のために当局から睨まれていた国学者の高山彦九郎(たかやま ひこくろう)などとも交流していたそうです。

付き合うメンバーが派手なら、本人の遊びぶりも派手でした。吉原遊廓で遊ぶのは当然として、気に入った遊女を身請けするなど、カネに糸目はつけません。

本人はそれでいいのでしょうが、家臣たちは主君の遊興費を工面するため、商人たちから借金を重ねることに。

言うまでもなく松前藩の財政は窮乏し、幕府から何度も注意を受けたそうです。よほど派手な遊びぶりだったのでしょうね。

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