【大河べらぼう】ロシアに強硬姿勢、反幕勢力と交流!蝦夷地に君臨した松前藩主・松前道広(えなりかずき)の豪快すぎる生涯 (3/4ページ)

Japaaan

隠居しても血気盛ん

蜂起するアイヌたち(イメージ)

そんな豪放な松前道広の対外政策は、実に強硬なものでした。ロシアから通商要請を受ければ、幕命を名目(タテ)にこれを拒否。現代日本の政治家では考えられない強硬姿勢です。

また寛政元年(1789年)に国後島や目梨郡で勃発したアイヌの叛乱(クナシリ・メナシの戦い)に際しては、交渉の余地を残さずこれを鎮圧。家臣の新井田正寿・松井広次らを派兵しています。

寛政4年(1792年)には家督を長男の松前章広(あきひろ)に譲り、隠居します。

隠居後は通称を大炊頭(おおいのかみ)・美作守に改めましたが、それで大人しくなるタマではありません。

寛政8年(1796年)にエゲレス船プロビデンス号がアプタ沖(北海道虻田郡洞爺湖町)に出没した際は、息子や家臣の反対を振り切って自ら出陣しています。よほど戦いたかったのでしょうね。

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