「凶賊」は実在した!強盗、殺傷、陵辱…江戸の町を震撼させた凶悪犯罪者、真刀徳次郎・葵小僧【前編】 (2/4ページ)
そんな彼らは寛政元年(1789)3月、現在の北大宮駅近くの四恩寺の境内にある闇魔堂に潜伏していたところを捕縛されました。
捕縛当時、徳次郎はみすぼらしい身なりをしていたので、平蔵は新しい着物を与えてやったといいます。その上で町中引廻しの上、大宮宿で斬首されてその首は3日間晒されました。
人々を恐れさせた徳次郎を捕縛したことで、平蔵の火盗改としての能力は世間に知れ渡りました。また真刀徳次郎は、のちに歌舞伎で義賊として演じられるようになります。
鼠小僧次郎吉や日本左衛門もそうですが、犯罪者が後にエンタメ作品で義賊として描かれるのは、江戸時代のひとつのパターンだったようです。
徳川のご落胤を名乗る凶賊『鬼平犯科帳』では、「本物の盗人(義賊に相当)」なら絶対に守るべき盗みの三ヶ条として「人を殺めぬこと、女を手込めにせぬこと、盗まれて難儀をする者へは手を出さぬこと」というものが登場します。
これを守っている犯罪者に対しては、長谷川平蔵は比較的寛容な姿勢で臨んでいます。
こうした意味で、「本物の盗人」とは対極に位置し、その凶悪さから『鬼平犯科帳』の中でもひときわ強烈なインパクトを残すのが葵小僧です。
この葵小僧は実在し、少女から大年増まで必ず陵辱するという凶悪な盗賊団でした。
松平定信の自伝『宇下人言』によると、寛政3年(1791)に一夜のうちに何軒も大店が襲われる被害が1~2ヶ月以上も続きます。
殺しや強姦を好んで行う、まさに鬼平犯科帳でいうところの「畜生働き」の凶賊だったのです。
