【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編] (2/8ページ)
寛政の改革は、「綱紀粛正」「財政再建」「農村復興」を主要な柱としますが、この中で蔦重を悩ませたのが「綱紀粛正」であったのです。
定信が「綱紀粛正」を施政の重要な柱としたのは、田沼時代に賄賂をはじめとする金銭の腐敗が横行したこと、また天変地異による度重なる飢饉で農村にいられなくなった農民が江戸に大量に流入し、社会秩序が乱れた状況を是正するためでした。
定信は、対策として倹約を推進するとともに、風紀粛正を厳格に実施しました。町人の贅沢を抑えるだけでなく、銭湯での男女混浴の禁止や岡場所の統制など、風俗に対する取り締まりを徹底し、55か所の岡場所が取り潰しの憂き目にあったのです。
定信は、このような政策によって江戸の景気が悪化すると考えていました。それにより、江戸に集まった農民が仕事を得られなくなり、帰農者が増え、農村の復興が図れると目論んでいたようです。
この定信の予測は的中し、意次の時代とは対照的に、江戸は不景気に陥りました。