【大河べらぼう】蔦重と松平定信(寺田心)の戦い勃発!?史実を基にストーリーの次なる局面を考察[後編] (3/8ページ)

Japaaan

当盛美人揃之内 岡場所(深川)二代歌川国貞

しかし、定信の意図に反して、農民たちの多くは荒廃した農村へ戻るよりも、なんとか仕事が得られる江戸に留まります。当然ながら、江戸市民からは強い反発が起こり、定信はこれを抑えるためにさらに厳しい風紀粛正を推し進めたのです。

出版統制により消された喜三二と春町

定信による寛政の改革は、出版界にも厳しい統制を課しました。本の内容はもとより、浮世絵のテーマや色使い、装丁に至るまで、さまざまな規制が設けられたのです。
こうした規制に対して、蔦重は抵抗の姿勢を示しました。寛政の改革を揶揄し、定信の政策を批判するような黄表紙を次々と世に送り出したのです。

1788年、朋誠堂喜三二(尾美としのり)作、喜多川歌麿(染谷将太)挿絵による『文武二道万石通』が刊行されました。この作品は定信の文武奨励策を茶化した内容で、江戸市民から絶賛され、大ベストセラーとなります。

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