「大河べらぼう」吉原の遊女とは対照的な最下級の娼婦…たった350円で春を売る「夜鷹」の実態とは?【前編】 (4/6ページ)
実際、梅毒の症状が進み、鼻や耳が欠けている娼婦もおり、白髪を墨や油で染めて若作りをしていた夜鷹もいたとされています。
国学者で狂歌師の石川雅望の著『都の手ぶり』には、夜鷹の風体を「みぐるしうきたなげなり」と表現しています。
それにもかかわらず、江戸時代末期の江戸には、夜鷹の数が4,000人を超えていたとか。
夜鷹が多数いた理由は、当然ながら彼女たちに需要があったからです。
彼女たちを必要としたのは、職人や商家の奉公人、日雇い労働者などのこちらも庶民では最下層に位置する人々でした。彼らは吉原遊郭はもちろん、私娼窟である岡場所で遊ぶ金すら持ち合わせていませんでした。
また、ちょっと意外かもしれませんが、武士たちも夜鷹の客だったとされます。
どうしても 武士が多いと 夜鷹云い
この川柳は、武士までもが夜鷹を買っていたことを示しています。この時代になると、町人よりも下級武士の方が、日々の生活に困窮していたようです。そこで、安価な享楽を求めて彼女たちを相手にしたのです。
では、夜鷹に男が支払う揚代は、いくらくらいだったのでしょうか。