大河「べらぼう」たった350円で春を売る…喜多川歌麿(染谷翔太)の鬼畜母が生業とした「夜鷹」の実態とは?【後編】 (3/7ページ)

Japaaan

、二代目 歌川広重

『吉原細見』は、遊女通いを目的とする男たちだけでなく、観光目的で吉原を訪れた人々にも広く読まれた、現代でいえばガイドブックのような書物だったのです。

実は、最下級の娼婦であった夜鷹にも、ガイドブックのような本が出版されたことがありました。それが『東辻君花の名寄』です。

この本の内容は、夜鷹の番付で、57歳から16歳まで、総勢54人の名前が記されており、「太め」「細め」といった身体的特徴や、性質の良し悪し、身なりなどが詳しく解説されています。

しかし、幕府としては風紀上好ましくない「夜鷹モノ」であったため、この書物は発売からわずか3日で発禁処分となりました。

とはいえ、このような本が出版された背景には、「夜鷹見物」と呼ばれる娯楽、すなわち夜鷹を見に行くことが、江戸の人々の間で一種のエンタメとして人気を博していたという事情があります。

夜鷹。月岡芳年「月百姿 一とせ 辻君」

『天言筆記』には、この夜鷹見物について、次のように記されています。

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