大河「べらぼう」たった350円で春を売る…喜多川歌麿(染谷翔太)の鬼畜母が生業とした「夜鷹」の実態とは?【後編】 (6/7ページ)
寛政から天保までの風俗の変遷を記した『寛天見聞記』には、船饅頭について以下のように記されています。
「天明の末までは、大川中洲の脇、永久橋の辺りへ、舟まんぢうとて、小船に棹さして岸に寄せて、往来の裾を引き、客来る時は、漕ぎ出して中洲一とめぐりするを限りとして、価三十二文なり。」
遊女が声をかけた男が承知すると、船頭は小舟を岸に寄せました。そして、舟が大川(隅田川)に浮かぶ中洲を一周する間にことを済ませるのが決まりだったようです。
揚代は、当初は夜鷹と同じ24文でしたが、のちに値上げされ、32文に落ち着いたようです。
水運が発達した江戸の町には、縦横に多くの掘割が走り、それらの水路は隅田川に通じていました。