その数10人超!戦国時代「三方ヶ原の戦い」で討ち死にした徳川軍の武将たちそれぞれの最期を紹介 (2/5ページ)
しかし、家康が武田軍目掛けて突撃を決行していたので、馬を強制的に方向転換させまました。
そして、自らを家康と名乗り、十文字の槍と25人の騎兵を率いて、武田軍と戦いました。広次は奮戦するも、討ち取られました。
殿として最後まで戦った本多忠真
本多忠真の甥・本多忠勝/Wikipediaより
本多忠真(演:波岡一喜さん)は本多忠勝の叔父として知られ、幼少期に父を失った忠勝に読み書きから武士の心得などを教えました。忠勝の初陣後は補佐役として、窮地に陥った忠勝を救う活躍をみせました。
そんな忠真は、三方ヶ原の戦いで徳川軍撤退時に殿(しんがり:囮役)を引き受けます。
旗を左右に突き刺し、「ここから後ろへは退かぬ」と言った後、武田軍と戦闘。武田軍を引き付けるも、ついには討ち死にしました。