その数10人超!戦国時代「三方ヶ原の戦い」で討ち死にした徳川軍の武将たちそれぞれの最期を紹介 (3/5ページ)
馬場信春の突撃を防ごうと戦った成瀬正義
馬場信春/Wikipediaより
馬場信春/Wikipediaより
成瀬正義(なるせ-まさよし)は使番・旗奉行として家康に仕えました。しかし、永禄5年(1562)に同僚を斬りつけたことで出奔。
翌年の三河一向一揆で帰参を許され、その後は織田氏の援軍としての六角氏の箕作城攻めや姉川の戦いに参加し、戦功を挙げました。
そんな正義は三方ヶ原の戦いで徳川本陣の守りについていました。しかし、馬場信春が突撃を決行することを知ると、成瀬家のことの弟・成瀬正一に託し、戦いに臨みます。
正義は家康の身代わりとなり、討ち死にしました。ちなみに、正義が討ち死にした場所は成瀬谷として知られています。
また、正義と共に討ち死にすることを約束した鳥居信元も、敵中に入った末に討ち死にしました。