その数10人超!戦国時代「三方ヶ原の戦い」で討ち死にした徳川軍の武将たちそれぞれの最期を紹介 (4/5ページ)

Japaaan

土屋昌続と一騎打ちをした鳥居忠広

鳥居忠広(中央)/Wikipediaより

鳥居忠広は鳥居忠吉の4男として生まれました。兄には鳥居元忠がいます。忠広は元忠と同様武勇に優れ、姉川の戦いでは先鋒を務めました

また、三方ヶ原の戦いでは武田軍との兵力差から籠城を主張。そのことで成瀬正義から腰抜けと呼ばれ、喧嘩になりました。後ほど正義とは仲直りしています。

籠城ではなく夜戦を選択したことで徳川軍が敗北すると、忠広は殿を引き受けます。

そして、武田二十四将の1人・土屋昌続(つちや-まさつぐ)との一騎打ちで討ち取られました

他の戦死者たち

加藤景継の従兄弟・加藤喜助(中央)/Wikipediaより

三方ヶ原の戦いでの戦死者は、紹介した4人の他にまだおり、一覧で紹介します。

「その数10人超!戦国時代「三方ヶ原の戦い」で討ち死にした徳川軍の武将たちそれぞれの最期を紹介」のページです。デイリーニュースオンラインは、三方ヶ原の戦い徳川家康戦国時代武田信玄カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る