「べらぼう」なぜ田沼意次(渡辺謙)は徹底排除されたのか!?鍵は徳川家康の政治理念だった!【中編】 (2/6ページ)
家康は1543年、三河の小大名・松平氏の嫡男として岡崎城に生まれました。しかし幼少期には、織田氏や今川氏の人質となり、今川氏の本拠地である駿府で、今川義元の薫陶を受けながら成長します。
1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、家康は今川氏から独立。その後、三河を奪還し、名を松平元康から徳川家康と改めました。
1562年には信長と同盟を結び、遠江へ進出。今川氏真を追放することに成功します。しかし、正室・築山殿と嫡男・信康が武田氏と内通したとの嫌疑がかかり、信長の命により、やむなく二人を死に追いやるという苦渋の決断を迫られました。
以降、形式上は同盟関係にありながらも、家康はまるで家臣のように信長に従います。しかし1582年、本能寺の変で信長が死去すると、家康は後継をめぐって羽柴秀吉と対立するも、最終的には秀吉への臣従を余儀なくされます。