「べらぼう」なぜ田沼意次(渡辺謙)は徹底排除されたのか!?鍵は徳川家康の政治理念だった!【中編】 (3/6ページ)
豊臣政権下では、五大老の筆頭という重責を担っていましたが、1600年の関ヶ原の戦いで勝利を収め、1603年、60歳という高齢で征夷大将軍に任ぜられ、ついに江戸幕府を開いたのです。
このように、50年以上にわたり信長や秀吉のもとで辛酸をなめてきた家康は、江戸幕府の創設にあたり、将軍を頂点として大名たちが各藩を支配する「幕藩体制」を構築しました。
家康にとって、日本の支配は自らの子孫である徳川家が将軍として代々担うべきものであり、そのためには、大名統治のための精神的支柱が必要でした。その役割を果たしたのが儒教だったのです。
商業を利益を貪るだけの卑しい職業と捉える儒教の基本理念は、「下は上を敬い、上は下を慈しむ」という「孝」の精神にあります。その一派である朱子学は、家康が定めた厳格な支配体制を全面的に肯定する学問でした。
朱子学の教えは、権力を持つ為政者にとって最良の理論であり、江戸幕府の支配体制である幕藩体制において、徳川家を頂点とする秩序の維持に最適な思想とされたのです。
また朱子学では、商業を農民が生産した物を右から左へと流して利益を貪るだけの卑しい職業と見なし、商人を「利を追い求める卑しい存在」として捉えました。