「べらぼう」なぜ田沼意次(渡辺謙)は徹底排除されたのか!?鍵は徳川家康の政治理念だった!【中編】 (6/6ページ)

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つまり、家康は石高制を採用し、米を中心とする「重農主義」を基本に据えつつも、「重商主義」的な施策もバランスよく展開していたといえます。

朱印船貿易や鉱山開発に取り組んだのは、貨幣経済の進展をしっかりと理解していた証でしょう。そのあらわれとして、家康は金・銀・銭の三貨からなる貨幣制度(三貨制度)を創設しています。

家康の意に反して極端な儒教主義に走る

家康の政治理念と体制をまとめると、幕藩体制の維持にあたっては儒学を精神的支柱として導入しつつも、農業と商業のそれぞれの利点を理解し、バランスよく政策を行うことで、260年にわたる江戸時代の礎を築くことに成功したのです。

しかし、儒学者が政治顧問として幕府に加わったこともあり、その後の為政者たちは、儒学の影響からことさらに商業を卑下するようになります。その結果、膨張する貨幣経済に対応できず、幕府は次第に経済的に行き詰まっていくことになるのです。

大河ドラマ「べらぼう」公式サイトより

そのような中、「重農主義」の限界を察知し、「重商主義」へと大きく舵を切ったのが田沼意次です。

しかし、彼はその出自の低さも影響し、[前編]で紹介したオランダ商館長イサーク・ティチングの言葉にあるように、「井の中の蛙」のような幕府首脳陣の中で孤立を深め、ついには松平定信(寺田心)、一橋治済(生田斗真)らの憎悪の対象となってしまいました。

では、[中編]はここまでとします。[後編]では、田沼意次と松平定信の政治理念の違いを、彼らが模範とした8代将軍徳川吉宗の政治を交えて考察し、意次がいかにして完全に排除されていったのかをお話ししましょう。

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