「べらぼう」後に徹底排除される田沼意次(渡辺謙)!なぜ彼は”悪の汚職政治家”のレッテルを貼られたのか?【後編】 (5/6ページ)
商業政策としては、「株仲間」と呼ばれる専売同業者組合を公認し、その代わりに運上や冥加といった税金を徴収して幕府の収入を増加させました。
徳川吉宗が行った「享保の改革」は、一般的に「重農主義的」であったとされます。しかし、その改革は農業を基盤としながらも、商業の重要性を的確に取り入れていたと言えるでしょう。
寛政異学の禁で商業を否定し、上下の秩序を強調するでは、吉宗の政治理論を基盤とした田沼意次と松平定信の代表的な政策には、どのようなものがあったのでしょうか。
田沼意次の代表的な政策としては、株仲間の奨励、長崎貿易の拡大、鉱山の開発、蝦夷地の開拓、印旛沼の干拓などが挙げられます。
一方、松平定信の代表的な政策には、囲米の実施、寛政異学の禁、棄捐令(きえんれい)などがあります。
このように、意沼は「重商主義」を、定信は「重農主義」を中心とする政策を打ち出しました。しばしば田沼政治の象徴とされる株仲間も、実は吉宗が享保の改革で導入した政策の一つでした。
田沼は、吉宗の政策を肌で感じながら、家重の側近として政務に携わっていました。