「べらぼう」後に徹底排除される田沼意次(渡辺謙)!なぜ彼は”悪の汚職政治家”のレッテルを貼られたのか?【後編】 (2/6ページ)

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この頃になると、佐渡金山をはじめとする幕府直轄の鉱山における採掘量が減少し、幕府の備蓄金もほぼ底をつくという危機的な状況に陥っていました。

この財政危機を立て直すため、御三家の一つである紀州藩から迎えられたのが、第8代将軍・徳川吉宗です。吉宗は、幕府の財政再建を目的として「享保の改革」を実施しました。

徳川吉宗(Wikipedia)

田沼意次の父・意行(おきゆき)は、吉宗がまだ部屋住みだった頃から仕えていた家臣ですが、その身分は足軽とされ、武士階級の中では最下級の出自でした。

吉宗が将軍に就任すると、あまり禄の高くない藩士の中から約200人を選んで幕臣に編入しました。意行もこの時に将軍小姓として召し抱えられ、幕府旗本に列せられることとなります。

この意行の家督を継いだのが田沼意次であり、彼は第9代将軍・徳川家重の西丸小姓に抜擢されます。

家重は1745年に吉宗から将軍職を継承しましたが、言語が不明瞭で、政務を十分に執ることができない状態でした。そのため、1751年に吉宗が亡くなるまで、実際の政治の実権は吉宗が大御所として握り続けることになります。

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