【べらぼう】なんと実在の人物だった半次郎(六平直政)!”つるべ蕎麦”は吉原名物として有名だった (5/5ページ)

Japaaan

書籍で調べた歴史とは少し違うようですが、せっかくなので見比べてみましょう。

寛保2年(1742年) 浅草の吉原五十間口に「釣瓶蕎麦」と「若松屋幸助」という蕎麦屋が存在 明和5年(1768年) 増田屋次郎介が両店とも受け継ぐ 明和9年(1772年) 吉原伏見町に「釣瓶蕎麦」と「増田屋清吉」を暖簾分け 安永4年(1775年) 増田屋半次郎が家業を継ぐ 天明3年(1783年) 増田屋半四郎が家業を継ぐ

~この間、100年間ほどは詳細不明~

明治23年(1880年) 武久留吉が麻布区笄町(渋谷区広尾)に増田屋の支店を開業。現代の増田屋となる

(後略)

※参考:増田屋のれんとは|外苑前 増田屋~TOKYOモダン蕎麦屋~

100年ほどつながりの不明な期間はあるものの、どうやら浅からぬご縁がありそうです。

東京で増田屋さんを見かけた時は、半次郎の顔が思い浮かぶかも知れませんね。

終わりに

今回は蔦重を見守る一人•半次郎が営むつるべ蕎麦の歴史をたどってきました。

物語がそろそろ天明年間(1781〜1789年)に入るので、半次郎も退場が近いかも知れません。

メインではないけど、いないとその場がしまらない。蕎麦で言えば薬味のような存在感を、最後まで堪能させて頂きましょう。

※参考文献:

佐藤要人 監修『川柳蕎麦切考』太平書屋、1982年4月 新島繁『蕎麦史考』錦正社、1975年9月

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「【べらぼう】なんと実在の人物だった半次郎(六平直政)!”つるべ蕎麦”は吉原名物として有名だった」のページです。デイリーニュースオンラインは、釣瓶蕎麦遊子方言若松屋幸助田舎老人多田爺江戸見物道知辺カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る