【べらぼう】なんと実在の人物だった半次郎(六平直政)!”つるべ蕎麦”は吉原名物として有名だった (3/5ページ)
天明年間(1781~1789年)に出版された『江戸見物道知辺(えどけんぶつのみちしるべ)』では、釣瓶蕎麦が砂場蕎麦(黒船町)・正直蕎麦(駒形)・東向庵(鎌倉河岸)・福山蕎麦(堺町)に並ぶ江戸の名店として紹介されています。
吉原細見でも吉原名物の一つ(※)として紹介されており、また吉原遊郭へ入る待ち合わせ場所として、川柳にも詠まれました。
乗りつけは つるべそば(辺 り)へおろし
【歌意】駕籠で乗りつけたお客は、みんな釣瓶蕎麦あたりで下りる。
そば屋の(ま え)で客みんな 下乗(げじょう)なり
【歌意】釣瓶蕎麦の前まで来たら、お客はみんな乗り物を下りる。
(※)ほか吉原名物として、袖の梅(丸薬)・巻煎餅(菓子)・吉原細見・甘露梅(菓子)・最中の月(菓子)・山屋豆腐(食品)があります。
やがて半次郎は天明3年(1783年)に増田屋半四郎(はんしろう)と交代。そして天明5年(1785年)の吉原細見では増田屋の名前が削られ、以後見られなくなりました。
こうして釣瓶蕎麦は廃業、その店舗は隣の兵庫屋藤介(ひょうごや とうすけ)に買い取られたようです。
釣瓶蕎麦を引退後、そして廃業後の半次郎がどのような余生を送ったのか、詳しいことは分かっていません。