大河「べらぼう」前半の名シーン5選|視聴率が伴わない理由と波乱の後半戦を解説 (9/10ページ)
後半の略年表
天明6年(1786年)
徳川家治が世を去り、田沼意次が失脚する天明7年(1787年)
松平定信が老中となり、寛政の改革が始まる天明8年(1788年)
蔦重が朋誠堂喜三ニ『文武二道万石通』を出版、改革を批判する寛政元年(1789年)
蔦重が恋川春町『鸚鵡返文武二道』を出版、改革を批判する蔦重が唐来参和『天下一面鏡梅鉢』を出版、改革を批判する
寛政2年(1790年)
幕府が出版規制を強化する寛政3年(1791年)
蔦重が出版した山東京伝『箱入娘面屋人魚』などが摘発される これにより、蔦重は身上半減(全財産の50%没収)に処される※以後、蔦重は表現方法を工夫するほか、書物問屋への事業展開を図る
寛政6年(1794年)
芸術性の違いから、蔦重と歌麿が疎遠になる 看板絵師を補充するため、蔦重が東洲斎写楽を起用する寛政7年(1795年)
東洲斎写楽の活動が止まり、蔦重が歌麿との関係修復を図る寛政8年(1796年)
遠回しな表現方法も幕府によって規制される 蔦重が体調を崩し、伏しがちとなる寛政9年(1797年)
5月6日、蔦重が脚気で世を去る(享年48歳)ごくざっくりまとめると「寛政の改革によって大打撃を受け、苦境の中で再起を図りつつ世を去る」と言ったところでしょう。
寛政の改革では、松平定信(寺田心⇒井上祐貴)&一橋治済(生田斗真)らがここぞとばかり改革の大鉈を振るう姿が目に浮かびます。
そんな中で「何がどう転んでも、ずっと蔦重の隣にいる」と言っていた歌麿が、どんな思いで蔦重の元を去っていくのかも気になるところです。
他の仲間たちも次々と筆を置き、あるいは世を去っていく中で、残された蔦重の苦闘が後半の見せ場と言えるでしょう。
孤独にさいなまれる蔦重を、妻のてい(橋本愛)がどう支えていくのか、その辺りも注目が集まります。