江戸時代の「大奥」は権力の中枢。日本史に埋もれた女性たちの政治力を解剖【ジェンダー史学】 (2/4ページ)
特に江戸時代でポイントとなるのは、将軍家の大奥の存在でしょう。
江戸城の構造は大きく「表」と「奥」に分かれます。「表」は幕府の政治と儀式の場であり、「奥」(中奥・大奥)は将軍と家族の日常生活の場です。
大奥は御台所すなわち正妻、それから側室、そして2000~3000人もの奥女中が暮らしていました。
従来の政治研究では老中体制の「表」が中心で、大奥は表の政治とは隔絶された女の園とみるのが一般的でした。
しかし、日本近世史の研究者により、最近は、大奥の政治的役割が高く評価されるようになってきています。
まず、大奥は完全な男子禁制ではなく、事務・管理を担う御広敷という男性役人も常駐していました。
また大奥(諸大名の「奥」も含む)は継承者の出産・養育のほか、諸大名や公家と儀礼、贈答などを通じて深く交流していたのです。