江戸時代の「大奥」は権力の中枢。日本史に埋もれた女性たちの政治力を解剖【ジェンダー史学】 (3/4ページ)

Japaaan

大奥の中心人物は将軍と極めて近しい関係にあるため、諸大名は表のルートと併せて、「内証」と呼ばれる私的なルートで大奥を活用し、人事・政治に働きかけてもいます。また、奥女中を利用する場合も多かったようです。

こうした状況を受けて、寛文十年(1670)には奥女中の内証ルートを抑制するルールである「奥方法度」が制定されましたが、効果は限定的でした。

このルールの存在は、図らずも「奥」の存在感の大きさを示すものであり、その力の大きさがどれほどのものだったのかを証明していると言えるでしょう。

見直される女性たちの活躍ぶり

こうした研究成果を背景に、歴史に登場する女性たちの人物像についても見直しが進んでいます。

例えば三代将軍・家光の乳母で大奥の創設者といってもよい春日局は、平清盛の妻である平時子や北条政子と同様に従二位に昇った大立者です。「紫衣事件」に際しては、幕府と朝廷の関係改善も果たしています。

近年は、この春日局の内証ルートがかなり活発だったことも明らかになっており、実は彼女は老中以上の実力者だったことが裏付けられています。

ちなみに、春日局については「家光の実母説」もクローズアップされており、今後の研究成果から目が離せません。

また幕末の十三代将軍・徳川家定と、薩摩藩の篤姫(天璋院)の婚姻や、皇女和宮(静寛院宮)の十四代家茂への降嫁も、大奥の強い政治力への期待が背景にあったようです。

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