「べらぼう」なぜ蔦屋重三郎は江戸・日本橋への進出に憧れたのか?魚河岸が作った経済インフラの全貌 (3/9ページ)

Japaaan

徳川家康・東照大権現像(狩野探幽画)Wikipedia

ともあれ、江戸に入った徳川家康は、新たな居城となる江戸城の拡張・整備とともに、大規模な都市建設に着手しました。そして1603年(慶長8年)に江戸幕府を開くと、全国の大名を総動員して、江戸の町は“将軍のお膝元”にふさわしい都市へと整えられていきました。

さて、江戸幕府による急ピッチな都市開発には、多くの労働者と大量の物資を運ぶ手段が必要となります。そこで幕府は、江戸と地方を結ぶ街道の整備を進めるとともに、町中に水路を張り巡らせました。

その両方の要所とされたのが、早くから町人地として開発された日本橋でした。ここに、江戸城の外堀と隅田川の河口を結ぶ水路――日本橋川に橋が架けられます。つまり海と通じる水路を整備し、全国からの物資が船で江戸市中に入ってくるようにしたのです。これが、日本橋の始まりです。

「「べらぼう」なぜ蔦屋重三郎は江戸・日本橋への進出に憧れたのか?魚河岸が作った経済インフラの全貌」のページです。デイリーニュースオンラインは、べらぼう魚河岸インフラ江戸時代大河ドラマカルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る