「べらぼう」なぜ蔦屋重三郎は江戸・日本橋への進出に憧れたのか?魚河岸が作った経済インフラの全貌 (6/9ページ)

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ちなみに家康は江戸に入ると摂津から漁民を招き、佃島に移住させました。彼らは幕府の膳所(台所)に魚介類を供するために漁業を営みます。

石川島と佃島。葛飾北斎筆

日本橋の魚河岸は当初、佃島の漁民たちが獲った魚を幕府に納めるために設置されました。その後、幕府に上納する残りの鮮魚を、舟板の上に並べて一般に販売するようになります。これが、日本橋魚市場のはじまりです。

日本橋魚河岸発祥の地 Wikipedia

そして次第に、江戸湾の漁師たちが“押送り船”という高速の小舟で魚を運び込むようになり、日本橋の魚河岸が形成されていったのです。この小船は左右に4本ずつの櫓が付く、8人で漕ぐ運搬船で、冷凍冷蔵技術がなかった江戸時代において、鮮度の良い魚を運ぶための高速船でした。

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