「べらぼう」なぜ蔦屋重三郎は江戸・日本橋への進出に憧れたのか?魚河岸が作った経済インフラの全貌 (5/9ページ)

Japaaan

通りの両側には「三井越後屋呉服店(のちの三越)」や「白木屋(のちの東急百貨店)」のような大型商店をはじめ、堂々とした構えの店が次々と軒を連ね、日本経済の中心として発展していきました。

まさに、日本橋は江戸で最も賑わい、活気にあふれた町だったのです。

魚河岸とともに江戸一番の繁華街に発展

家康が将軍に任じられ、都市改造を開始した当時、江戸の人口はおよそ15万人ほどでした。それから約30年後の1632年(寛永9年)には、人口は倍増し、少なくとも30万人を超える人々が暮らしていたと考えられています。

大河ドラマ『べらぼう』の主人公・蔦屋重三郎の時代は、それから約150年後になりますが、その頃には江戸の総人口は優に120万人を超えていたのです。

整備・拡張なった江戸城とその市中

このように、江戸は時代が下るにつれて人口が増加し続けました。それに伴い、江戸市民の生活を支える物資の供給が必要となります。日本橋は、そうした物資のうち、特に魚介類を供給する魚河岸の街として、なくてはならない存在となっていったのです。

当時の人々の間では、獣肉を食べることを忌避する考えが広く浸透していました。そのため、魚介類は江戸市民にとって貴重なタンパク源だったのです。江戸幕府にとっても、その需要を満たすために魚の流通システムを整備することは、必要不可欠な課題でした。

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