大河「べらぼう」吉原遊郭における”芸者”の役割とは?遊女との違いはどこにあるのか?【前編】 (3/8ページ)
江戸初期には、芸人のことを芸者と呼び、女性だけでなく男性の芸者も存在していました。この男性の芸者を「幇間(ほうかん)」、別名「太鼓持ち(たいこもち)」ともいいます。
ちなみに「幇」という漢字には「助ける」という意味があり、「間」は「間柄」や「場の間」を意味します。つまり、「幇間」という言葉は「人間関係を助ける者」という意味を持ち、接待する側とされる側の間を取り持つ役目を担う芸人ということだったのです。
しかし、時代が下るにつれて、芸者といえば専ら女性、すなわち「女芸者」を指すようになります。本稿では、こうした経緯をふまえ、女芸者についてお話しをしていきます。
深川芸者は江戸の粋を具現化した存在だった女性の芸者の前身は踊子といい、その誕生は江戸時代の初めに遡れるとされます。8代将軍の徳川吉宗の享保年間(1716~1736年)には、すでにその存在が評判となっていたようです。