大河「べらぼう」吉原遊郭における”芸者”の役割とは?遊女との違いはどこにあるのか?【前編】 (4/8ページ)

Japaaan

ただ、芸者が全盛となるのは、まさに「べらぼう」の時代、つまり10代将軍徳川家治の宝暦から天明(1751~1789年)頃でした。

この当時、芸者は吉原芸者と深川芸者の二つが代表的な存在で、深川芸者が先に誕生したといわれています。先ずはこの深川芸者についてご紹介しましょう。

喜多川歌麿の「深川の雪」Wikipedia

深川芸者は、深川が江戸の辰巳(東南)の方角に位置していたことから、別名「辰巳芸者」とも呼ばれていました。深川は隅田川の河口近くにあり、川を挟んで江戸時代の経済の中心地であった日本橋と向かい合っています。そのため、深川の客の中心は、日本橋で働く、威勢のいい商人や職人たちでした。

深川芸者(辰巳芸者)は、またの名を「羽織芸者」ともいいます。彼女たちは、江戸の「粋(いき)」を具現化する女性の代表格とされました。舞妓・芸妓が京の「華」であるならば、深川芸者は江戸の「粋」の象徴と讃えられたのです。

彼女たちは、流行に敏感で、着用する着物は色柄の新しさを好みます。

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