「豊臣兄弟!」とも深い縁の戦国大名・真田氏の実質的な祖「真田幸隆」とは何者か? (2/7ページ)

Japaaan

箕輪城郭馬出西虎口門(Wikipedia)

このとき、棟綱らとともに上野国へ逃れ、箕輪城主で関東管領・山内上杉家の家臣である長野業正(ながのなりまさ)の庇護を受けたとされる。

幸隆は、業平のもとで再起の機会を窺っていたが、思うように事が運ばないと悟ると、かつての敵であった武田家に奔る決意を固めた。

この時、武田家では信虎がクーデターにより駿河へ追放され、嫡子の信玄(晴信)が家督を継いでいた。

武田信玄(Wikipedia)

ただし、幸隆が信玄に臣従した時期については諸説ある。

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