「豊臣兄弟!」とも深い縁の戦国大名・真田氏の実質的な祖「真田幸隆」とは何者か? (3/7ページ)

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江戸時代初期の軍記物『甲陽軍鑑』によれば、1548(天文17)年に行われた上田原の戦いにおいて、武田家の宿老・板垣信方の脇備として出陣しており、おそらくこの頃にはすでに信玄に仕えていたと考えられる。

山本勘助(Wikipedia)

また、同じく江戸時代初期の真田家の記録『真武内伝』には、信玄の軍師(足軽大将)・山本勘助の推挙によって仕官したとも伝えられている。

信濃先方衆として活躍。真田氏興隆の礎を築く

信玄の傘下に入った幸隆は武田家の信濃先方衆として、持ち前の謀略を駆使して活躍した。1550(天文19)年には、真田庄の砥石城攻めを信玄に進言し、村上義清方の清野氏や寺尾氏などを調略するも、「砥石崩れ」と呼ばれる大敗を喫する。

しかしその翌年には再び砥石城攻めに参加し、自身の調略により、わずか一日で砥石城を陥落させた。

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