「豊臣兄弟!」とも深い縁の戦国大名・真田氏の実質的な祖「真田幸隆」とは何者か? (1/7ページ)

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「豊臣兄弟!」とも深い縁の戦国大名・真田氏の実質的な祖「真田幸隆」とは何者か?

信濃国真田庄の豪族として始まり、やがて豊臣秀吉の傘下に入り、さらに独立大名として戦国の世を颯爽と駆け抜けた真田一族

本稿ではその真田一族の中でも、真田幸隆・昌幸・信繁・信幸の三代にわたる事績を紹介していく。

今回は、武田氏や村上氏の勢力争いの中で一時的に本領を失いながらも、卓越した謀略の才によって領地を回復した戦国大名真田氏の実質的な祖とされる真田幸隆についてお話ししよう。

真田幸隆(Wikipedia)

本領の真田庄回復のため武田信玄に仕える

真田氏の実質的な開祖とされるのが、真田幸隆、すなわち真田信繁の祖父である。

幸隆は1513(永正10)年に生まれたとされるが、その出自には不明な点が多い。

一般には、海野氏の棟梁・海野棟綱(うんのむねつな)の娘と、真田頼昌(さなだよりまさ)との間に生まれたという説が有力だが、確証はない。

幸隆の事績で確かなのは、1541(天文10)年に、甲斐国主・武田信虎と村上氏・諏訪氏の連合軍によって攻められた「海野平の戦い」で没落したことである。

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