『べらぼう』片岡鶴太郎の名演が話題、鳥山石燕の生涯と「辞世の句」歌麿との実際の関係とは (3/11ページ)

Japaaan

狩野派の絵師として活躍

鳥山石燕『石燕画譜』より。大英博物館 蔵

鳥山石燕は正徳2年(1712年)ごろ、江戸幕府に仕える御坊主の家に誕生しました。実名は佐野豊房(さの とよふさ)、ほか玉樹軒(ぎょくじゅけん)・月窓(げっそう)・船月堂(せんげつどう)・零陵堂(れいりょうどう)等と号しました。

絵師としては狩野派に属し、狩野周信(かのう ちかのぶ)や狩野玉燕(ぎょくえん)に師事します。一時は御用絵師を務めていたとも言いますが、詳しいことは分かっていません。

美人画などの肉筆作品や、寺社に奉納する額絵などを多く手がけ、額絵には歌舞伎役者の似顔を描いたことで評判を集めました。

また浮世絵版画の「拭きぼかし」技法を発明、安永3年(1774年)に刊行した自身の画集『鳥山彦(とりやまびこ。石燕画譜)』に用いたことでも知られています。

拭きぼかしとは版木の一部(色をぼかしたい部分)を濡れ雑巾で拭き、その上から絵具を乗せて刷毛で摺る技法です。こうすると水分に絵具が広がり、ぼやけた色彩表現ができました。

濡れ雑巾で真っすぐに拭くのを「一文字ぼかし」、それを画面最上部に用いると「天ぼかし」と呼ばれます。

「『べらぼう』片岡鶴太郎の名演が話題、鳥山石燕の生涯と「辞世の句」歌麿との実際の関係とは」のページです。デイリーニュースオンラインは、百器徒然袋狩野玉燕狩野周信東流斎燕志今昔百鬼拾遺カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る