裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った戦国武将たちのその後【西軍編】 (2/7ページ)
小早川秀秋/Wikipediaより
関ヶ原の戦いで秀秋は1万5000の兵を率い、松尾山に布陣していました。ほぼ主力に近い数の兵を従えていましたが、知っての通り秀秋は西軍から東軍へ離反。
これにより有利だった西軍は総崩れとなり、東軍の勝利で幕を閉じました。
関ヶ原の戦いで東軍勝利に一役買った秀秋は、その戦果として宇喜多秀家が所有していた岡山領55万石を加増されました。
しかし、秀秋は慶長7年(1602)に急死。秀秋の養子先だった小早川家は後継ぎがいなかったことにより、断絶しました。また有していた土地も改易となりました。
訳アリで東軍に参加できなかった脇坂安治2人目は脇坂安治です。
脇坂安治/Wikipediaより
安治は関ヶ原の戦い前に徳川家康率いる東軍に加担する内容の書状を送り、家康もそれを理解していました。しかし、石田三成が挙兵したため、大坂にいた安治はやむを得ず西軍として戦いに参加しました。