裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った戦国武将たちのその後【西軍編】 (4/7ページ)

Japaaan

大名でしたが、小早川秀秋の与力だった赤座直保

4人目は赤座直保です。

直保は父とともに朝倉家に仕え、滅亡後に織田信長、豊臣秀吉と主君を変えた武将です。天正18年(1590)での忍城の戦いの功績により、越前国(現在の福井県北部)今庄2万石を所持していました。

大谷吉継/Wikipediaより

関ヶ原の戦いでは大谷吉継の元で戦っていましたが、小早川秀秋の寝返りを機に東軍の味方へ。しかし、高虎から受けた東軍に寝返る返答をうやむやにしたままの寝返りだったので、加増も所領安堵もされずに改易となりました。

その後は信長の時代から関係のあった前田家の元でお世話になっています。長くは続かず、慶長11年(1606年)に越中国(現在の富山県)にある大門川の氾濫調査の際、濁流に飲まれ溺死しました。

石田三成と懇意だったため、重い処分を下された小川祐忠

5人目は小川祐忠(おがわ-すけただ)です。

祐忠は浅井家に仕えていましたが、元亀元年(1570)の姉川の戦いを機に織田信長に仕官。信長死後は明智光秀、柴田勝豊(柴田勝家の養子)を経て、豊臣秀吉に仕えます。豊臣家では伊予国(現在の愛媛県)今治に7万石を有する大名になりました。

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