裏切りの果てに…「関ヶ原の戦い」で寝返った戦国武将たちのその後【西軍編】 (3/7ページ)
戦いの最中、秀秋が東軍に寝返ったことを機に安治も離反。戸田勝成の部隊を壊滅させました。
戦後は事前に家康の味方することを書状で述べていたことを配慮し、お咎めなく所領安堵。その後は元和元年(1615)に家督を次男に譲り、寛永3年(1626)に病死しました。
織田信長を助けたことのある朽木元綱3人目は朽木元綱(くつき-もとつな)です。
元綱は2歳で家督を継承し、元亀元年(1570)での金ヶ崎の退き口で織田信長の撤退を助けた武将です。この撤退は朽木越えと言われています。
関ヶ原の戦いの際、元綱は藤堂高虎に東軍へ寝返る調略を受けていました。そして、秀秋に呼応して東軍へ加担。
藤堂高虎/Wikipediaより
戦後は内通する意思をはっきりさせなかったため、減封処分を受けました。しかし、減封されたものの、所領は豊臣家に仕えていた時と変わらないため、実質的に所領安堵といえます。一説では、元綱は関ヶ原の戦いに参加していなかったと言われています。
その後は元和2年(1616)に出家し、寛永9年(1632)に亡くなりました。