【べらぼう】人々の怒りが頂点に…田沼意次を失脚に追い詰めた「新之助の義」天明の打ちこわしとは? (4/7ページ)
うっかり家事など出さないように火の元はあらかじめしっかりと消し、住む場所がなくなったら困るだろうからと建物までは壊しません。
また破壊行為は合図によって始まり、合図によって休憩が入ります。そして合図で始まり合図で終わるという秩序だった集団行動は、世界史上でも奇異な暴動でした。
彼らはあくまでも悪徳商人らに対して社会的制裁を加えたいのであって、決して力ずくで盗みや強盗を働きたいわけではなかったのです。
そんな打ちこわしの様子を、ある水戸藩士が「まことに丁寧、礼儀正しく狼藉」を仕ったと記録しています。丁寧かつ礼儀正しい乱暴狼藉というものが、ここでは両立していました。
しかし5月22日ごろになると、打ちこわしに乗じて米などを盗む者が現れ、よほど追い詰められていたことが分かります。
5月25日まで続いた打ちこわし
「幕末江戸市中騒動図」より、天明の打ちこわし。右の方に米を拾っている人々がいる。
江戸じゅうが打ちこわしの熱狂に沸き立つ中、町奉行所の反応は今一つでした。
江戸城では寺社奉行・勘定奉行・町奉行が対応を協議。口論の末に不作為を責められた曲淵景漸が渋々?鎮圧に出向いたものの、あまりの勢いを前に、思い切った態度がとれません。