『べらぼう』松平定信(井上祐貴)を転落へと追い詰めた事件とは?正論の押し付けが仇となり一橋治済とも対立 (5/6ページ)
一部に定信を惜しむ声はあったものの、余計な諍いを起こすのは御政道の妨げとばかり、定信は所領の白河藩へと帰国していったのでした。
寛政の改革も道半ば(というか問題山積状態)で帰国した定信については、世の人々も快く思わなかったようです。
五、六年 金も少々 たまりつめ
かくあらんとは 誰も知ら川【歌意】5〜6年ほどの江戸勤務(溜詰・たまりづめ)で、いくらかカネが貯まり詰めたようだ。まさか白河藩へ帰ってしまうとは……こんな展開、誰も知ら川(白河。知らなかった、予想できなかった)だよ。
冒頭の「白河の〜」で知られる通り、上下に倹約や表現規制・思想統制を強いたことなどから、後世あまり評判のよくない寛政の改革。
しかし幕府の財政再建については一定の成果を上げており、一説には幕府の寿命を半世紀ほど延ばしたとも言われます。
また定信の去った後も、彼の政治思想は松平信明(のぶあき)・牧野忠精(ただきよ)ら「寛政の遺老」に引き継がれ、幕末まで影響を与えました。
そして白河藩では以前の通り所領統治に心血を注ぎ、名君と称えられながら天命をまっとうしたのです。
